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運営者プロフィール

直観と論理で限界を突破し
社会に新しい価値を提供する
「ヒューマンリーダー育成」を理念に掲げる
波動アップコンサルタント「三宅巧一」とは・・・?

こんにちは!
一人起業戦略.com」を企画・運営している
戦略企画ドットコム・波動アップコンサルタント
(旧:引き寄せ集客コンサルタント)の三宅巧一です。

2009年4月より「戦略企画.com」という
サイトやブログ「気づきのシェア」を
運営していますので、ひょっとすると
私のことをご存じかも知れませんね。

一人起業で最も大切なことは”理念”です。
これが明確であり、その理念達成を追求し続ければ、
いつか必ず成功すると信じています。

でも、この”理念”に気づくのがなかなか
大変だと思います。

私の持論では、人間は生まれた時に
2つのものを持って生まれてきたと
考えています。

一つが”理念”であり、もう一つが”強み”です。

自分の強みを活かしながら、理念達成を追求する
過程において、人間として成長し
充実した人生を送れると思っています。

では、どうやって自分の”理念”を明確に
すれば良いのか?

そのヒントになるようなお話を私の経歴を
紹介しながら、あなたにお伝えしたいと
思います。かなり長くなりそうですが
最後までお付合い下さい。

あなたの”理念”は、必ずあなたが今まで
歩んできた道の中にあるはずです。

理念発掘の事例として、私のケースを紹介しますね。

宮大工の次男として岐阜県養老郡で生まれました

1969年9月27日に宮大工の次男としてこの世に
生まれました。

父親は、個人事業主であり、大工職人でした。
そして建築士の資格も持っていました。
職人気質の厳しい父でした。

幼い頃は、父親の現場について行き、仕事を
手伝ったりしていました。

そんな父親の背中を見ながら育ったので
いつかは、自分でビジネスがしたい!
と思っていました。

●もしも、あなたがどの両親の元に生まれるのか?
自分で決めたとしたら、何故、自分の両親を選んだのか?
考えて見て下さい。そこに理念のヒントが隠れて
いるはずです。

13歳の時、父親が突然この世を去りました

私が中学2年生の時、建築現場で事故が
起こり、父親は逝ってしまいました。

我が家は5人兄弟、ちょうど兄は
大学受験の年でした。

私は進学校へ進み、文系大学を目指す予定でしたが
父親の死によって、進路変更を決断します。

進学校へ進むのを止め、国立岐阜高専
(国立岐阜工業高等専門学校)へ進路変更
したのです(文系から理系へ)。

自分は絶対浪人できない、
母親に迷惑はかけられない

と思い、当時就職率ほぼ100%だった高専への
進学を決めました。

でも、やはり大学へ行きたいという思いは
あったので、最初から国立大学への編入学
狙いで高専に入ったのです。

仮に国立大学への編入学に失敗したとしても
就職という選択肢がある、そう思っていました。

つまり、中学生の時から戦略的に
進路を選んでいたことになります。

●あなたの転機で何が起こり、何を思ったか?
キーワードに落とし込んでみて下さい。
私の場合、ここでは「理系」「戦略」
というキーワードを見つけました。

山梨大学への編入に成功・大学院まで進みました

”浪人”というリスクをヘッジしながら、戦略的に
選んだ岐阜高専から山梨大学の3年生に編入学
することができました。

地元である岐阜を離れ、初めて一人暮らしを
経験することになります。

5人兄弟であり、父親を亡くしていることから
金銭的な余裕は全くありません。

母親にも迷惑はかけられないので
学生時代は

・奨学金
・授業料免除
・掛け持ちアルバイト

により、自分で稼ぎながら学生時代を
過ごしました。

例えば、駐車場の管理・フィットネスジムの
トレーナー・コジマ電気・塾講師・家庭教師・
スキーインストラクターなど、複数の
アルバイトを掛け持ちしていました。

ほぼ、毎日アルバイトしていたことに
なります。恐らく、奨学金も合わせると
当時(1990年代前半)月20万円以上は
自分で稼いでいたと思います。

この頃から、自然と自立力・自律力が
養われていたと思います。

エンジニアになるつもりで入社した電機メーカー
配属はなぜか?「海外事業部!?」でした・・・

入社前の配属面接でこんな質問をされました。

「三重県でエンジニアの仕事をするのと
東京で営業の仕事をするの
どっちがいい?」

当時付き合っていた彼女が東京にいたので

「東京で営業の仕事がいいです。」

と思わず言ってしまいました。
若かったですね(笑)。

で、蓋をあけて見ると・・・

なんと「三重県で海外営業の仕事
という配属でした。

詐欺みたいな話ですが、事実です。

最初は、東京で海外営業だったのですが
当時(1994年)は、バブル崩壊後で業績悪化
の影響もあり、海外事業部自体が事務所費用削減
のため、三重県鈴鹿市にある工場へ移転しました。

なので、入社後1か月ぐらいで
いきなり転勤になったのです。

その後、10年以上に渡り、海外ビジネスを
経験することになります。

就職当時は、海外へ行ったこともなく、
もちろん英語も話せません。国内線の
飛行機にすら乗ったことがない状態でした。

●あなたは、自分が思い描いていた進路に
進めなかったことはないでしょうか?
また、苦手だったことは何でしょうか?
その周辺に”理念”のヒントが隠れています。

カリスマ事業部長の一声でアメリカ駐在決定!?

富士電機に入社し、最初の担当はお隣の国
「韓国」でした。韓国の場合、代理店の社長や
幹部社員は、日本語が上手に話せます。

そのため、特にコミュニケーション上の
問題はありませんでした。

1年目は先輩社員の元で韓国を担当していた
のですが、その先輩社員がロンドン駐在となり、
自分が中心になって、年間売上10億円以上の
地域を担当することになったのです。

この頃(25歳)から、自分が実務の責任者的な
立場で仕事をするようになりました。

韓国を担当してから3年が経過した頃、
信じられないことが起こります。

なんと・・・

・英語が全く話せないのに

・山梨大学編入の際に受けた、英語の単位認定
試験で1単位も認められなかったくらい
英語が苦手なのに

・富士電機入社時のTOEICスコア―が300点台だった

にも関わらず

アメリカの販売子会社に責任者として
駐在させるという話が決まりました。

当時の前任者は、帰国すれば課長クラス
のベテラン社員です。当然、英語は
ペラペラで、ビジネス経験豊富な方です。

その前任者の後任として赴任させる
というかなり無茶な話が事業部長
の一声で決まってしまいました。

当時の事業部長は、カリスマ事業部長で
誰も逆らえないような状態です。

さすがに周りからは、「無理でしょ・・・」
という話になっていたようですが
カリスマ事業部長が一度決めた
ことは覆りません。

結局、アメリカへ駐在することに
なったのです。

ただ、当時の私の状態では、アメリカで
責任者として業務をこなす力量がないこと
は明らかでした。そこで、1年間東南アジアを
担当しながら、英語と製品知識を学ぶことになりました。

私としては、かなり逃げ腰で、本当に
逃げ出したい心境であったことは
お察しの通りです。

●あなたの苦手だったことは何でしょうか?
その周辺に”理念”のヒントが隠れています。
私の場合は、”英語”でした。

アメリカ駐在が嫌で、本格的な転職活動を開始

アメリカ駐在が決まってから、駐在に向けて
海外赴任者研修、英語研修などを受けて
いましたが、どうもやる気が起きません。

完全に逃げ腰でした。

・英語が全く話せない
・製品知識もない
・アメリカ市場も全く知らない

という状態でしたので、アメリカに駐在すると
相当苦労することは、誰でも容易に想像
できます。

海外にも全く興味がなかったので
転職を決意したのです。

そして、本格的な転職活動をスタート
させました。

履歴書や職務経歴書の書き方、面接対応
など、本当にいろいろと研究しました。

そして、経営に興味があったので
経営コンサルタントになりたい!
と思い、経営コンサルティング会社
へ応募しました。

この時、初めて人材紹介会社の存在を
知ることになります。

人材紹介会社を通した転職活動と
自主応募による転職活動を続け
良いところまで進むのですが

最後の最後で、見えない力が邪魔をして
結局1社からも内定をもらうことが
できませんでした。

恐らく、1社でも内定が出ていれば、そのまま
内定を出してくれた会社へ転職していたと思います。

どうあがいても、アメリカへ行く必要が
あったということですね。

でも、この転職活動は、その後大いに
役立つことになります。

意を決して、アメリカへ出発!

結局、転職活動に失敗し、転職は諦めて
アメリカ駐在の道を選びました。

覚悟を決めて、アメリカ・ニューヨーク
のJFK空港へ向けて飛び立ちました。

当時の様子は、今でもしっかり覚えています。

初めて降り立ったアメリカの地・・・
不安で一杯でした。

そして、案の定、修羅場が待っていました。

アメリカ駐在前の1年間で英語の勉強に励み
TOEICの点数を500点台までアップさせた
のですが、全然実践では使えませんでした。

冷や汗をかきながら、アメリカ人と接して
いました。当然、意思疎通がうまくいかなくて
アメリカ人スタッフからは馬鹿にされる有り様・・・。

そして、上司である日本人社長との
人間関係もうまくいかず、完全に孤立
してしまいました。

これでは潰れてしまうと思い、事業部の責任者は
社長へお願いして、私自身は、事業部の
事業企画管理と日系企業への営業活動
に注力しました。つまり、

一人で仕事を回せる環境にしたのです。

これで肩の力が抜けました。

アメリカ人マネージャーは、数字に弱いので、
数字に強い私が彼らの弱みを補間する
役回りとなりました。

また、日本本社とのコミュニケーションを
円滑にできるよう支援したのです。

そして、営業面では日系企業向けのビジネス
が伸び、アメリカ人マネージャーが私を
見る目も変わってきました。

少しずつですが、彼らへ貢献することに
よって信頼関係を構築することが
できたのです。

ITバブル崩壊と同時多発テロ勃発で修羅場を経験

あなたもご存じだと思いますが
2001年のアメリカは大変な年でした。

ITバブル崩壊と同時多発テロが勃発した年です。
多くの企業が業績悪化し、街には失業者があふれました。

私が駐在していた会社も例外ではなく
所属事業部の売上は半減し、待ったなし
の事業再建が必要となりました。

そこで、日本本社からの駐在員である
私が事業再建プランをまとめ、実行
することになったのです。

まずは出血を止める必要があったので
18名いた組織を7名までスリム化
しました。

その結果、翌年度は黒字化を達成
しています。

でも、事業再建を成功させるためには、
経費削減だけでは駄目です。

成長戦略を描き、素早く実行することで
安定軌道に乗せる必要があります。

そこで、私が実行した戦略は

・インターネットの活用
・ジョイントベンチャーの活用

でした。

戦略企画ドットコムにおけるコンサルティングは、
アメリカ事業再建での成功体験が
ベースになっています。

具体的には、

●ECサイトを企画・構築し、インターネット
を活用して新規顧客を開拓すると同時に
既存顧客の受注・出荷オペレーションを効率化

●ネット通販に強いローカル企業との
ジョイントベンチャーにより、
北米全土に販路を拡大

ということを実行しました。

これにより、人員を11名削減しても
ビジネスを回しながら、成長する
ことができる仕組みを作ったのです。

アメリカで理念の原形を確立

アメリカでの事業再建は、私にとって大きな
気づきが得られる経験となりました。

事業再建により、多くの仲間を失っています。
ビジネスを継続させるためには、人員削減は
避けて通れない道でした。

仲間の中には、50歳以上のマネージャー
もいました。

人材流動化が進んでいるアメリカと言えども
50歳を過ぎてからの転職は、大変厳しい
状況です。残された道は、自分で
ビジネスを始めることになります。

この当時、私はこんなことを思いました。

1.日本でも、いつかアメリカと同じことが
起こるだろう

2.そのため、いつでも一人でやっていける力
を身に付けておく必要がある

3.そして、いつか一人起業する人を支援できる
ようになりたい

この当時の思いが、理念の原形になっています。
そして、私の理念を更にブラッシュアップする
出来ごとが起こります。

東証1部上場企業から社員10名のベンチャー企業へ

アメリカでの事業再建は、2001年に再建プランを
まとめ、2002年から2004年の3年間で実行
しています。そして、成功することが
できました。

事業再建の仕上げは、人件費の高い日本人
駐在員である私自身をリストラすることです。

そこで、日本人マネージャーを現地で
採用し、私は日本本社へ帰国する
ことになりました。

自分としては、アメリカに残りたかったので
現地で転職活動し、内定をもらっていた
のですが、やはりアメリカ現地採用社員
として生きて行くのは困難であると
判断し、帰国することにしました。

でも、このまま日本本社へ戻った場合、
自分の成長が鈍化するという強い
危機感があったので

日本へ帰国する前、つまりアメリカ駐在期間中に
日本の人材紹介会社を通して転職活動を
していました。

その時、自分の理念を一旦確立し、この理念を
達成するためには、今、何が必要なのか?
というアプローチで転職先を探していたのです。

この時、アメリカ駐在前に経験した
転職活動を活かすことができました。

更に驚いたことは、その人材紹介会社の
担当者が日本帰国後、転職することになった
ベンチャー企業の社長だったことです。

私の頭の中には、人材紹介会社という
選択肢は全くなかったのですが

その社長からお誘いを受け、結局
当時、社員10名程度の人材紹介会社
へ転職することになったです。

これは、周りの人も驚いていましたが
私自身が本当に驚いた出来ごとでした。

東証1部上場企業から全く無名の人材紹介会社
への転職、しかも全くの畑違いです。
普通ではあまりないような話ですね。

でも、今思い返せば、このベンチャー企業
での経験は、私にとって必要不可欠で
あったということになります。

一人で4役こなすことに・・・

2005年5月にベンチャー系人材紹介会社へ
転職しました。

さすがベンチャー、人使いが粗いです(笑)。

入社1年目から

・キャリアコンサルタント
・人材紹介に関する企業営業
・経営企画、事業企画
・新規事業の立上げ準備

という4つの重い業務を一人で担当
することになりました。

普通では考えられない仕事量です。

そのため、毎朝5時30分に起床、
6時30分には出社して、仕事を
していました。

恐らく、人生の中で一番働いていた
時期だと思います。

でも、既にある程度、理念が確立できていた
ので、全然苦ではありませんでした。

ほとんど体調を崩すこともなかったので
会社の同僚や部下からは”鉄人”と
呼ばれていました(笑)。

このマルチタスクをこなした経験が
一人起業している今、とても
活かされています。

私にとっては、必要不可欠な試練だった
ことになります。

この会社では、本当にいろんな経験を
しました。例えば、

・キャリアコンサルタントとして
300名以上の方と面談

・会社の中期経営計画を策定

・新規事業の企画と事業計画書策定

・新規事業の立上げ(内2つが責任者)

・WEBサイトによる見込み客開拓の仕組み作り

・新規事業のオペレーション基盤をゼロから構築

などなど、在籍期間は4年間でしたが
本当にいろんな経験を積むことが
できました。

そして、やがて転機が訪れます。

中小企業向け戦略コンサルティングビジネスをスタート

ご存じの通り、2008年9月にリーマンショック
が起こり、日本経済は急激に悪化しました。

当時在籍していた人材紹介会社も
例外ではなく、業績が悪化
していました。

一方、親会社の新規事業立上げ支援に
目処を付け、自分で新しいビジネスを
立ち上げたいという気持ちが高まり

中小企業向けの戦略コンサルティング
ビジネスを立ち上げました。

それがリーマンショック後の2008年後半です。

この当時、自分が本当にやりたいことが
できていたので、特に独立したい
という野心はありませんでした。

自分のやりたいことを実現できるのであれば
この会社に在籍したまま実現すればいい、
そう思っていたのです。

そして、2009年の年初からクライアント
獲得に成功、少しずつクライアントも
増えて行きました。

そんな時、人生を左右する大きな出来ごとが
起こります。見えない力が私の独立起業を
後押ししたのです。

バスに乗る? 乗らない? の選択を迫られました

リーマンショックにより、会社の業績が
急激に悪化していました。

早急な経営再建が必要であることは
明白だったのですが、なかなか
具体的な動きがありません。

私自身は、コンサルティング事業の立上げ
に没頭していました。

でも、ついに2009年6月に経営陣が動きます。

全社会議が開かれ、会社の方針が伝えられました。
内容は、本業である人材紹介事業に注力する
というものです。

適切な選択だと思いました。
そのため、新規事業は凍結という
判断になったのです。

ちなみにこの会社の理念は
「新しい社会的価値の創造」
です。

この理念に共感し、東証1部上場企業から
リスクを覚悟で転職しました。

でも、本業である人材紹介に注力する
という方向性は、私がこの会社に留まる
理由をなくすものでした。

「バスに乗るか? 乗らないか?
選択してほしい」

と社長から全社員に向けて話があったので、
私は全く迷うことなく”バスに乗らない”
という選択を会議中に心の中でしました。
独立起業を決意した瞬間になります。

既に自分の理念は確立できていたので
迷いはありませんでした。

自分で独立し、今のコンサルビジネスを
継続するしか道がない、そう思ったのです。

そして、2009年6月末に退職し、2009年7月1日に
独立起業したのです。

個人事業で「戦略企画ドットコム」を設立

2009年7月1日に「戦略企画ドットコム」
としての営業を開始しました。

前職時代に立ち上げた
中小企業向け戦略コンサルティングビジネス
をそのまま自分が引き継ぐことになったのです。

在籍中にベースとなるクライアントは
開拓できていたので、立上げは非常に
スムーズでした。

でも、このビジネスモデルを
ずーっと続けると決めたわけ
ではありませんでした。

当時の理念は
グローバルプロフェッショナルの創出
だったので、いずれは一個人のグローバル
プロフェッショナル化を支援する
活動をしたいと考えていたのです。

そう考えていた矢先に
起業家を支援する組織

ドリームゲート

の存在を知ります。

迷うことなく「ドリームゲートアドバイザー」へ応募

ドリームゲートは、ジェイエイブラハムの
来日記念セミナーで隣に座った人と
後日情報交換する機会があり
その方から教えて頂きました。

ドリームゲートの理念である
日本の起業文化を確立する
に共感し、アドバイザーへ応募しました。

自分が掲げた理念と方向性が同じ
だと思ったからです。

そして、書類選考・インタビューを通過し
2009年11月・第10期ドリームゲートアドバイザー
として認定されました。

現在もドリームゲートアドバイザー
として起業家を支援する活動を
続けています。

2010年は、ドリームゲートアドバイザーグランプリ・
ビジネスプラン部門で、相談件数第3位。

2011年は、集客支援部門で相談件数第2位。

そして、2012年には、集客支援部門・相談件数第1位になりました。

独立起業の初月から売上がありました

会社員時代にビジネスの立上げをしていた
関係で、独立起業の初月から売上が
ありました。

これは非常にありがたい話で、気持ち
に余裕が生まれます。

でも、クライアントを開拓する仕組み作りが
必要不可欠であることは、今までの経験上
十分分かっていたので、

それに甘んじることなく、ネット集客の
仕組み作りにも取り組みました。
それが「戦略企画.com」になります。

コンサルティングのクライアントを
ネット経由で開拓することは
ある意味、チャレンジング
なことです。

通常、コンサルティングと言えば
コンサルタントが人脈を駆使して
クライアントを開拓する
イメージだと思います。

ネットを使って、私のことを全く
知らない新規クライアントを
開拓する仕組み作りは、かなり
ハードルが高いです。

しかも、事業責任者としての経験は
豊富でしたが、コンサルタントとしては
駆け出しの状態です。まだ、実績もありません。

それでも、あえて難しいことに
チャレンジすると決めていました。

独立から3年以内に

●独自ノウハウを確立する
●集客の基盤を構築する

目先の売上・利益よりも、この2つを
最優先すると決めていたのです。

突然、クライアントから契約を途中解約されました

2010年夏頃、法人のクライアントから
事前相談もなく、突然、解約通知を
突き付けられます。

1年以上支援していたクライアントで
業績も悪くはなく、むしろ良かった
のですが、

半年以上契約が残っていたにも関わらず、
途中解約となってしまいました。

戦略企画ドットコムとしての売上比率は
結構高く、これが突然なくなると
結構なダメージになります。

でも、この時気づいたことがありました。
それは、「次のステージへ向かうサインである
ということです。

私の場合、独立してからの1年は
順調にクライアントも増え、
売上も伸びていました。

でも、その内必ず踊り場が来ると
思っていたのです。独立から1年強で
早くも踊り場が来たということになります。

それから、いろいろと悩み苦しむ時期
が続きました。

無料スカイプコンサルが転機に

契約解除となってから、売上が急激に落ち込み
2010年10月から2011年1月にかけて4か月間も
低迷していました。

2011年1月が一番の底で、独立起業初月の
売上よりも落ち込んでいたのです。

このままでは、まずいと思い、いろいろと
もがいていたのですが、そんな時有名な
マーケティングコンサルタントの
コピーライティング教材と出会いました。

それが、2010年12月です。

その教材は、とても参考になったのですが
一番の転機となったのは、特典に付いていた
無料スカイプコンサルでした。

そのスカイプコンサルは、自分が書いたコピーを
添削してくれるサービスだったのです。

そこで、大きな気づきを得ます。

気づきのキーワードは・・・

●グッとくるコンセプト

でした。

コピーライティングは、文章の書き方や
内容よりも”コンセプト”が大切である
ことに気づいたのです。

この大きな気づきから、後にこんな
コンセプトを打ち出しました。

泥臭い営業不要の理系的業績アップ法
方程式は「戦略×実行×インターネット」

そして、無料レポート
理系的アプローチで業績アップする方法
をリリースしています。

このコンセプトを確立してから、潮目が
変わりました。

今までよりも明らかにサイトを訪問してくれた
見込み客の反応が変わったのです。

でも、まだまだ独自性が足りない
と思っていました。

あと、ターゲット見込み客をもう一度
よく検討する必要があると考えて
いたのです。

セミナー参加と顧問税理士のアドバイスがきっかけに

理系的業績アップ法
というコンセプトを打ち出してから
明らかに潮目が変わったのですが

まだ、完全に霧が晴れたわけでは
ありませんでした。

もう少しパンチの利いた、自分ならでは
のコンセプトを確立したい」そう
考えていたのです。

そして、2010年の年末に購入した
コピーライティング教材の
特典セミナーに参加しました。

その際、個別セッションがあったのですが
今、一番うまく行っていることは何ですか?
という質問に対して

「WordPressのブログです。」

と無意識に答えていた自分がいました。

そうなんです。

WordPressのブログ「気づきのシェア」は
立上げから3か月で月間アクセス数10,000
その後も安定的に約15,000アクセス
あります。

これが自分にとっての一番の強み
であることを再確認したセミナーでした。

そして、後日、顧問税理士であり、
ビジネスパートナーである起業コンサルタントの
中野裕哲さんに「起業したい人が困っていて、
私にできることは何か?」をヒアリングしました。

中野さんは、ドリームゲートの先輩
アドバイザーでもあり、All Aboutの
起業ガイドもしています。

ドリームゲートの相談件数No.1
の実力者なので、起業したい人の悩みを
良く知っています。

私の当時の理念は
グローバルプロフェッショナルの創出
なので、最終的に支援したい人は、
起業したい人であると定義しました。

そこで、どんな悩みを抱えているのか?
起業したい人と一番会っていると思われる
中野さんに起業家の悩みを聞いたのです。

それが”集客”でした。
しかも、起業は一人や小人数で
立ち上げるため、財務的な余力はありません。

リーズナブルな料金体系で
集客という難題を解決できる
サービスがあれば、非常に助かる
というお話でした。

これを元に、自分が現在持っている
リソースを洗い出し、分解し、再度組合せる
ことによって、新しいコンセプトと
新サービスを開発したのです。

ここから、完全に流れが好転して行きます。

「セルフSEO・無料集客法」を確立!

私が提供できる最大の価値は
広告宣伝費0円で集客できる仕組み作り
と定義しました。これに関しては、

・アメリカ駐在時にゼロから企画・開発したECサイト
・ベンチャー在籍中にプロデュースしたWEBサイト
・独立起業時に立ち上げた「戦略企画.com」
・法人クライアントでのネット集客コンサル実績

など、既に数多くの実績がありました。
そのコアとなっている要素が4つあります。

方程式で表現すると
「戦略」×「WordPress」×「セルフSEO」×「コピーライティング」
になります。

この4つの要素に関して一人で対応できる
コンサルタントは、恐らく日本には
それほどいないはずです。

私がネットでリサーチした限りでは
いませんでした。

つまり、独自ノウハウであると言えます。
この独自集客ノウハウを

セルフSEO・無料集客法

と名付けました。

この「セルフSEO・無料集客法」を活用しながら
広告宣伝費0円の「自動集客装置」
を構築していくサービス(つまり、バックエンド)が
以下の4つになります。

●”All in one” ネット集客パック
●”All in one” WordPressブログ集客塾(AWBM塾)
●AWBM塾・個別コンサルコース(AWBM塾参加が必須)
●WordPress集客コンサル養成講座(現在、準備中)

いずれも

・WordPress(ワードプレス)を活用する
・戦略コンサルと最適化コンサルサービスを提供する
・サイトの保守メンテも含まれている

という集客パックサービスになっています。

このようにして

●独自ノウハウの確立
●集客基盤の構築

という独立当初掲げた2つの大きな目標を
達成することができました。

あなたを支援する準備が整いました

絶対失敗できない30代男性既婚者である
あなたを支援する準備がようやく
整いました。

そして、今まで培ってきたノウハウを
すべて注入したサイト

一人起業戦略.com

を立ち上げることが出来たのです。

あなたの理念を明確にし、
あなたが理念達成を追求することで
日本でも海外でも通用する人材として
成長していく、

そして、世界に通用する人材を育成する
”ヒューマンリーダー”として社会に貢献し
本当の意味での幸せを実感できる

そんなお手伝いを自分の大切な命を
使って死ぬまで続けたいと思っています。

この思いに共感し、私と一緒に
最終的にはヒューマンリーダーを目指したい
志の高い方は、是非、お声掛けください。

かなり長くなりましたがここまでお付合い頂き
ありがとうございます。あなたとお会いできるのを
ワクワクしながら楽しみにしています!

末永く、どうぞ宜しくお願いします。

戦略企画ドットコム株式会社
代表取締役

三宅巧一

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